ストーリー画像-あなたがKEENのトレッキングカテゴリーのシューズを買うと、山と人と街に新しい循環が生まれる寄付プログラムがスタート!
ストーリー画像-あなたがKEENのトレッキングカテゴリーのシューズを買うと、山と人と街に新しい循環が生まれる寄付プログラムがスタート!

あなたがKEENのトレッキングカテゴリーのシューズを買うと、山と人と街に新しい循環が生まれる寄付プログラムがスタート!

2023年、KEENは新しい寄付プログラムを開始します。

あなたがKEENのトレッキングカテゴリーのシューズをお買い上げくださると、その売上の一部を、「一般社団法人 ネオアルプス」を通じ、北アルプス地域のアウトドア・アクティビティと環境保全の両立を実現することを目指す【北アルプス 山と人と街 プロジェクト】に寄付させていただきます。


山と人と街プロジェクトとは

日本の誇るべき環境資源である、中部山岳国立公園、北アルプスエリアは、日本屈指の山岳地帯です。この豊かな環境フィールドで、人々は登山をはじめとしたアウトドアアクティビティーをとおして、自然の摂理を学び、その奥深さを知り、そして心を癒してきました。現代社会において失われつつある本来の人間性を保つために、ますますその重要性は増しています。

その北アルプスの巨大なフィールドの登山道整備、便所の建設・維持管理、遭難救助、標識の作成・設置、登山道案内などの維持管理ですが、本来行うべきは、国立公園法を管理している環境省ということになります。しかし実際は、その大部分を山小屋が担ってきました。この広大な北アルプスの登山環境を山小屋の細腕が支えているのが現実なのです。

コロナ禍において、山小屋主導の北アルプスの維持管理は限界を迎えています。そこで、新たな枠組みを目指して「北アルプス 山と人と街(詳しくはこちら)」プロジェクトが、一般社団法人ネオアルプスを中心に、2022年に立ち上がりました。

KEENはこの活動に賛同。寄付やさまざまな活動を通じてその活動を応援していきます。ぜひ、みなさんも、このプロジェクトの一員になりませんか?


KEENからの寄付金は、例えばこんな活動に役立てられます。

1. コロナ禍により機能不全を引き起こしてしまった、山小屋の経営を取り巻くインフラやライフライン機能の整備を行い、環境を保全すると共にハイカーの安全や安心を整えます。

2. 貴重な環境資源であるトレイル保全を行い、再び健全で、自然豊かなトレイルの復活を目指します。

3. アウトドアアクティビティーの楽しみを多く人と共有し、同時に環境保全についても、一緒に考え行動に移すことを実現します。


新連載ブログ「北アルプス 山と人と街」

この寄付プログラムの開始に伴い、今年1年間定期的に、一般社団法人 ネオアルプスで、代表を努めている伊藤 圭さんのコラムを発信していくことになりました。

どんな歴史を持つフィールドなのか、どんなプロジェクトなのか?どんな自然や、文化があるのか?じっくりと、語っていただきます。早速、一回目のブログがスタートします!伊藤さん、よろしくお願いします。


はじめまして!伊藤圭と申します。

みなさま、はじめまして。一般社団法人ネオアルプスで、代表を努めている伊藤 圭と言います。KEENとのコラボレーションをすることになって、これから1年にわたり、ブログを定期的に発信していくことになりました。

今日は、このネオアルプスというプロジェクトの背景をご説明できればと思っています。私が、一般社団法人ネオアルプスを立ち上げたのは、2022年9月。黒部源流地域を始めとして父伊藤正一から受け継いだ、日本の原風景ともいえる北アルプスのフィールドと山小屋文化を持続可能とし、人と自然の共生を遊んで学べる新たなフィールド作りを実現するためです。


北アルプスの最奥地。三俣山荘と、伊藤新道

1947年 再初期の三俣蓮華小屋


北アルプスの最奥地、長野県、富山県、岐阜県の分岐点、黒部源流域に位置し、街の明かり一つ見えない山小屋があります。それが私の父、伊藤正一が遺した三俣山荘です。

父は、まだこの小屋が<三俣蓮華小屋>という猟師小屋だった 第2次世界大戦終戦の1945年頃に、前所有者の戦死に伴い、「家族が生涯暮らせるだけの代金」を持って権利を買い取りました。

当時の黒部源流は、非常に奥深く 戦時下間もないこともあってほとんど人の訪れない未開の地でした。

唯一、遠山品右衛門より続く一族のマタギたちが三俣蓮華小屋を拠点にイワナ釣りや熊捕などをしており、父はこのマタギ 達と仲良くなり、 山で生きる知恵、土地勘を享受しつつ、戦後の登山ブームに至るまでの開拓期を共に過ごしました。当時の様子は「黒部の山賊」という著書に残されています。

1946年頃 山賊達


父は1945年から10年ほどの間、第一次登山ブームに向かって増えていく登山者を背景に一回り大きな山小屋の新設、また自らが「生涯で一番の出会いだった」と明言した雲ノ平の山小屋の建設を考えましたが、 当時は食料、物資のすべてを歩荷という職業の人々が人力で運搬しており、また三俣まで麓からどのルートをとっても二日かかるために、資金的にも時間的にも、ほぼ建設は不可能でした。

1957年 伊藤新道を使い三俣山荘用材を運ぶ歩荷達


1956年10月3日 伊藤新道開通の報道


そこで考えたのがマタギたちから教わった湯俣川を下降し大町に出る最短ルートの登山道化です。これが伊藤新道の始まりです。このルートの探索、設計、作道には10年を要し、資金も数千万かかったようです。

伊藤新道はもちろん建築資材や物資の運搬に素晴らしい効率で利用され、三俣山荘が建設されましたが、同時に登山者たちからも憧れの黒部源流の山々へ最短で到達出来る道として熱烈に受け入れられ、最盛期は一日1,000人の利用者があったと言われています。

しかし一筋縄にはいかないのが自然と人間の共存の難しさです。伊藤新道の立地 は花崗岩が熱水変性した非常に脆いものであり、また谷全体に立ち込める硫化水素の影響で吊り橋や桟道の金属部はものすごい速度で腐食し、登山道が健全な形を保ったのは 15年間程だったようです。

その後も高瀬ダムの建設により登山者が減少し、またダムが出来たことによって上流部の地下水位が上昇、脆い谷全体が内部からの圧力でさらに崩れやすくなり、1983年に廃道となりました。


父のライフワーク、そして遺言

2006年 伊藤正一 水晶小屋付近


父が1945年から私が引き継ぐ2000年頃までに行った事業は、三俣山荘の建設、雲ノ平の開拓、山荘の建設、水晶小屋の再建、戦前にあった崩壊した小屋を買い取り再建した、伊藤新道の開通、三俣診療所の開設です。

一方で戦前から戦後すぐ辺りまで公然と語られていた「登山はエリートのもの」という考え方に異を唱え、奥地の自然は「過酷な資本主義社会で忘れ去られていく人と自然の共生を取り戻しに行く場所」という観点から「一般労働者こそ登山するべきだ」とのスタンスをとり、労働者を中心とした日本勤労者山岳会を結成しました。 また、写真での芸術表現にも積極的でした。

1960年 日本勤労者山岳会 結成記念


若き日の父、伊藤正一


簡単にまとめてしまいましたが、人跡未踏に近い地に確信的に山岳観光の道筋を切り開くべく構想を持ち、また訪れる利用者が自然保護思想に傾倒するという信念を持って臨んだ事業として、時代に先駆けた巨大なスケールの構想だったと言えるでしょう。

この間に国立公園の法整備が進み、公園内の環境的なコンプライアンスは表面的に強化されていきましたが、戦後から増加傾向にあった登山者の遭難救助や、登山道整備、公衆トイレの整備等、公園内のインフラに関わる事業も成り行き的に山小屋が受け持ってきました。これらは現代においても国立公園の制度の大きな課題として残っています。

このように北アルプスの山小屋の中でも一際異彩を放つ、文化的かつ自然保護思想に基づいた運営をしてきた父の三俣山荘グループでしたが、1989年に端を発する林野庁を相手取った地代訴訟、環境省の権力的な抑圧、また自社内のトラブルなどが相次ぎ、思うようにことは進まず、黎明期から思い描いてきた、登山とヒューマニズムと環境保全を掛け合わせたような壮大な山岳エリア構想を発信するまでに至らず父はこの世を去りました。

その思いは「伊藤新道だけはなんとかしてくれや」や「山小屋ってのはいいもんだ」などの遺言となって私に託されました。

秋の雲ノ平 伊藤正一撮影


山と人と街プロジェクト

時がたち2020年新型コロナウィルスの感染拡大が猛威を振るい、また以前から三俣山荘の物資輸送のすべてを受け持っていたヘリコプター会社がキャパシティーオーバーから、輸送を打ち切り、ベンチャーのヘリ会社が手を差し伸べてくれ、何とか営業には漕ぎつけたものの、収入は例年の四分の一に落ち込みました。

2002年に山小屋の仕事を始め、2016年父の死去に伴い経営を引き継いだ私は、それまでは山小屋の職人であり、ある時は父の秘書のような動きをし、あくまで父の経営方針を踏襲してきました。しかしここにきて、山小屋の経営が経済的にも業態的にも持続可能でないことを悟り、本格的に業態の変革が迫られる時が来ているのを知ったのです。

それは初めて自分の思想、世界観を世にさらけ出す瞬間でもありました。そして、コロナ禍の時間を利用し、あるプロジェクトを練り上げました。「山と人と街プロジェクト」と言います。

このプロジェクトは陸の孤島ともいえる黒部源流を伊藤新道の再生を軸に、麓の町大町と結びつけ、その間の埋もれた魅力やコンテンツを最大限活かし、行政と協働し利用者の底上げと共に新たな経済圏を創出する。また伊藤新道や湯俣のフィールドの在り方を利用者がより濃密な自然体験ができるよう、フィールドの在り方を時代に合わせた次のフェーズに押し上げるとともに、利用者全体で環境保全できるシステムを構築するというものです。


次の世代へとー。一般社団法人ネオアルプスとともに。

そんな、山と人と街プロジェクトを具体化するため、2022年9月、私は一般社団法人ネオアルプスを立ち上げました。その具体的ビジョンはウェブサイトにまとめられていますので、ぜひご覧ください。

➤ neoalps.com