令和2年7月豪雨災がおきた7月。新型コロナウイルス感染が拡大する中、私たちに何ができるだろう、そんな思いの中に居ました。いつもならKEENチームも被災された地域に赴き、ボランティア活動やシューズ配布を行うところですが、それは叶わない状況でした。
そこで、私たちは被災された各地できめ細やかな活動をされる37のボランティア団体の皆さまに4,300足のKEEN シューズ配布を託しました。ご協力いただいた皆さまに、心から感謝いたします。本当にありがとうございました。
熊本県にて災害支援活動を取材したコピーライターの井上伸夫さんから、災害支援ネットワーク「OPEN JAPAN」と「DRT JAPAN」の活動レポートが届きました。(写真:OPEN JAPAN/福地波宇郎)
球磨村に戻りつつある笑顔

令和2年7月豪雨の被害が甚大だった熊本県球磨郡球磨村神瀬(こうのせ)地区を中心に災害支援を続けるOPEN JAPANから「被災された方にKEENシューズをお配りしたよ」と連絡が入った9月26日土曜日。
会場となったのは、わかれて暮らしている地元のおかあさん達でお話ししながらご飯を作りコーヒーなども飲んで楽しく過ごそうと、地域のみなさんが中心になって手作りでオープンした「こうのせ元気食堂」です。

「たまには皆で集まって、しゃべって、ご飯を食べて...。そんなひとときをすごしませんか」と、被災された方に配られたチラシを手に、みなさんが集まられたといいます。

会場には、テントが張られ、あったかいシチューライス、豚の生姜焼き丼がふるまわれ、災害NPO旅商人さんのキッチンカーでは、バイシクルコーヒーさんから提供されたコーヒーも。

「靴がぜんぶ流されたから、とてもうれしい。ありがとうって、みんな喜んでいたよ」と嬉しいご報告。みなさんにひととき笑顔が広がったと聞き、KEEN スタッフにも私にも、笑顔があふれました。
豪雨とコロナ禍。ふたつの災害に向き合うこと

私が現地を訪れたのは、8月の終わり。発災から2か月弱が過ぎる頃でした。かつて誰も体験していない「コロナ禍での災害」となった令和2年7月豪雨によって甚大な被害を受けた神瀬(以下こうのせ)地区は孤立が長引き、コロナ対策によるボランティア制限による人手不足も加わって、復興は遅れ、水道の水もまだ復活していない状況でした。
「発災から3週間経っても、これまで見てきた被災地でいうと1週間後ぐらいの状況でした」とふりかえるのは、OPEN JAPAN 常駐メンバーの手代 千賀さん。いつもは平日でも30人ほどになる活動メンバーも、今回は1/3。被害の大きさを前に心は折れそうでした。そんな手代さんたちを勇気づけたのは一人のおばあさんの姿だといいます。「被災したご自宅で、背丈よりはるかに高い壁を一人で黙々とはがしていたんです。もちろん私たちが替わりましたが、長年住んだ家を元に戻したいという強い気持ちに、逆に私たちが力をもらった気がします」。

こうして一軒一軒、被災された方の話を聞き、家の再生を決めたお宅から重機で瓦礫をかたづけ、床下の泥かき、壁はがし、ブラッシング、清掃作業を行う家屋の再生活動は、今も続いています。

最後に頼るのは人の手
水につかった家の再生に欠かせないのは、床下の泥出し。放っておくとカビが繁殖し、健康被害も招いてしまいます。狭い床下に潜り、泥を掻き出すしかありません。閉鎖された空間で酸欠にならないように送風機で風を送ってもらい、投光器で光を当てると見えてくるのは、10cmほどに積もった生クリーム状の泥。これを手蓑(テミ)に乗せて2−3人でリレーし、外に運び出します。15分ずつ休憩しながらの作業とはいえ、カッパの中は汗と泥だらけになります。

作業がひと段落したお昼どき、思いがけず住人の方がカレーライスを差し入れてくださいました。つらい思いをたくさん抱えていらっしゃるのに、こうしてあたたかく接してくださることに、感謝の気持ちでいっぱいになります。
若い世代が、バトンを受け継いでいく
OPEN JAPANは、阪神大震災のボランティアベース「神戸元気村」で活躍した人たちが東日本大震災の石巻で再び集まった個人ボランティアのネットワークから始まりました。中心を担ってきたみなさんも40代から50代半ば。最近では若い20代が重要な役割を担っています。

手代さんは、2年前の西日本豪雨から本格的に参加。チーム編成などのバックアップをしながら、現場で重機を操ることもあります。この夏は、長年のOPENJAPANの活動に対して「令和2年防災功労者防災担当大臣表彰」が送られ、その受賞式で代表者として表彰状を受け取る大役もこなしました。

「先輩たちプロフェッショナルの知識やノウハウを、私たち若者が受け継いでいかなくちゃ。ボランティアも社会人1年目の研修などをもっと受け入れていきたいですね」と、手代さんも若い世代の参加に期待しています。
もう一人の若手のホープ、川島リキさんは22歳。故郷の徳島でボランティア団体「ダッシュ隊徳島」を立ち上げたお父様を通じてOPEN JAPANを知り、災害ボランティアのプロが連携する最先端で勉強したいと、昨年の宮城県丸森町での活動から参加しています。

現在「修行中」というリキさんは「地元で応援してくれている友人たちも、自分がいることで来やすくなるんじゃないかな」とコロナ後の仲間との活動も見据えています。
災害支援のノウハウを地元に伝え、地域力をつけてもらう
人吉市、球磨村、八代市と広域にわたる被害からの復興には長い期間がかかります。このためOPENJAPAN やDRT JAPANは災害支援で培ったノウハウやスキルを地域に伝えることにチカラを入れはじめています。
たとえば、重機プロボノチームDRT JAPAN は、活動の合間を縫って彼らを中心に地元消防職員向けにパワーショベルやチェーンソーのワークショップを行っています。

重機による技術プロボノの先駆けとして中越地震から被災地で活動してきたDRT JAPAN黒澤司さん。重機ワークショップでも指導的立場で活躍されています。
またOPENJAPAN は、地元で立ち上がったNPOや災害ボランティアセンター、球磨村役場、熊本県と連携した情報共有会議を提案し実施。さらに家屋再生の作業基準を作るための講習会やボランティアの養成、技術研修をコーディネートしています。

地元の行政や住民の皆さんによる復興会議に参加中のOPEN JAPAN 肥田ひーさん。被災された方の気持ちに寄り添った地域連携のコーディネート役として飛び回っています。
お隣りの人吉市では、OPENJAPAN の活動から生まれた「日本カーシェアリング協会」が、全国から寄付された車を被災した方に無償で貸し出し、申し込みが150台を超えました。
発災からまもなく3カ月ですが、大規模な被害にコロナ禍が重なり、本格的な復興が始まったばかり。9月から週末のみになった社会福祉協議会のボランティア受け入れや平日の熊本県内の企業ボランティアの受け入れサポートも始まっています。
「わたしたち外部支援団体は、いつかはいなくなってしまいます。地域力が下がっていかないように、地域の人をもっと巻き込んだ活動を考えていきたい」と手代さん。
OPEN JAPANもDRT JAPANも、現地に長期間滞在し、被災した皆さんと喜怒哀楽をわかち合いながら生活の再開を支援するボランティア・ネットワークです。その活動を、KEENも微力ながら引き続きサポートしていきます。あなたも、できることの小さな一歩を。
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